2001年は、バー「学校」の13回忌。
1988年12月13日に「さよならパーティ」をホテル・エドモントで開いています。ところがそのパーティの案内状を書いた詩人の山本太郎さんが11月5日に長野県の講演先で脳溢血のため急死してしまったのです。そして、その一週間後、「バー学校」の灯をともした張本人の草野心平さんが亡くなってしまったのです。
「酒場は人生の学校だ」と言い続けた校長なのに。パーティは主と代貸しのいない寂しい会でした。
太郎さんが講演に出かける前「帰りに、お前の山小屋に寄るからな」と言って出かけてまま、まだ来てくれません。
ぼくは閉店になった「バー学校」の看板をそれ以来13年間も、ぼくの小屋に灯を灯し続けながら待っているというのに....。
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