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2001.12

2001年は、バー「学校」の13回忌。
1988年12月13日に「さよならパーティ」をホテル・エドモントで開いています。ところがそのパーティの案内状を書いた詩人の山本太郎さんが11月5日に長野県の講演先で脳溢血のため急死してしまったのです。そして、その一週間後、「バー学校」の灯をともした張本人の草野心平さんが亡くなってしまったのです。
「酒場は人生の学校だ」と言い続けた校長なのに。パーティは主と代貸しのいない寂しい会でした。

太郎さんが講演に出かける前「帰りに、お前の山小屋に寄るからな」と言って出かけてまま、まだ来てくれません。
ぼくは閉店になった「バー学校」の看板をそれ以来13年間も、ぼくの小屋に灯を灯し続けながら待っているというのに....。

仕方がないから太郎さんが死んじゃった長野県の三水村に行って、太郎さんの詩碑に会ってきました。詩碑に酒を注ぎながら一回りしました。
辺り一面、まっ赤な山の中でした。

地球がまわり 俺は力づくで 坐つている

めまいよ こい 生きていることはすばらしい

風よ こい ふかい空と つりあうために

錘のような心がある 

これを見たぼくの古〜い、親し〜い友達からメールが飛び込んできました。
「・・驚いたことに、実はこの詩碑が建っている土地は、以前私の家の田んぼだったのです。村役場から公共施設を建てたいと頼まれてカラマツ林と交換したのです」って。
『なあーんだ、太郎さん、ぼくの家に来るって言ったけど友達のところで眠っていたのかあ・・。淳ちゃんのところで、ゆっくりおやすみなさい』


2001.11


いつか、いっしょに日本酒の冷やでも呑みませんか。
 でも、これからは冬。
 クロスが白に変わるので熱燗にしましょうねぇ
秋のぼくの山小屋です。

これがぼくの作ったテーブルベンチです。
雨の日には写真がなんにも撮れないでしょう。だから、子どものいないオーストリアの公園で、ベンチのサイズを計って一人遊びをしていたんです。
山小屋ができたとき、ふと一人遊びのサイズを思い出して作ったのがこのベンチなのです。
テーブルは紅葉や枯れた松の葉で覆われて、まるでテーブルクロスのようでした。


二葉乳児院とりこわし。


二葉乳児院が建て替えのため、
古い建物の取り壊し作業に入りました。
ぼくが30年間撮り続け、
3冊の写真集を撮った乳児院です。


子どもたちが誰もいなくなった部屋のなかに、一匹の熊が寝ていました。

アサヒカメラ9月号
石亀泰郎「子どもを撮る」特集号!

アサヒカメラ9月号をご覧下さい。
石亀泰郎の「子どもを撮る」という特集が組まれています。
子どもを撮ることの本質やヒントについてのインビューや作品が掲載されています。

写真展
『バイキングの国のチビッコキャンプ』

コニカ展には大勢の方々においでいただき、ありがとうございました。

写真展
『たのしかった日々とさようならと』

おかげさまで記念展は大勢の方々においでいただき、ありがとうございました。

まもなく二葉乳児院の子どもたちは、園舎改築のため転居いたします。
ぼくが30年間撮影した園舎は取り壊しになるので、もう二度と見ることはできなくなります。感無量です。


 
 石亀泰郎撮影事務所 TEL 03-3357-7889
  メール shon-tachi@hello.email.ne.jp